国際情勢と外交 International Affairs
中国アジア問題ジャーナリスト 日暮高則
トランプ米大統領が中米パナマ運河の米国管理再獲得に意欲を燃やしたことから、世界の海運とその航路の重要性が再認識させられたようである。米国が領土化を目指すデンマーク自治領のグリーンランドも北極海航路の確保をにらんだ動きであり、中東ガザ地区の領有意欲にも実は海洋支配の意図が感じられる。
19世紀末に米戦略学者アルフレッド・セイヤ―・マハンは「海洋の支配が国家の繁栄には不可欠」と喝破したが、トランプ氏はあたかもこの信奉者であるかのように、海洋への関心を高めている。今、すべての貿易相手国に関税の上乗せを図り、保護主義の傾向を強めているが、それと同時並行的に、自由貿易の要となる船舶の航行でも、「米国第一主義」を貫き、中国排除の動きを見せている。
<トランプのスタンスと中国>
米国歴代大統領の外交政策を遡ると、民主党は国際協調主義、多国間主義であり、共和党は一国主義、単独行動主義の傾向が見られる。ただ、共和党大統領は対外的に行動を起こす時に一応大義や理由を示してきた。2003年のイラクで軍事行動を起こす時も「サダム・フセイン(大統領)が大量破壊兵器を持っている」などの理由を示した。
ところが、トランプ氏の一国主義はこれまでとちょっと違う感がある。彼の言う「米国ファースト」には民主主義、自由、人権、環境を守るといった大義、普遍的価値観がなく、場合によっては国際法も頭にない。
あるのは米国の経済的な利益優先、時にはトランプ氏個人の企業優先だけとも見受けられる。つまり、MAGA(make America great again )でなく、MTSA(make Trump selfish again 、トランプ自分勝手主義の再来)ではないか。
ロシアの潜在的脅威にさらされているNATO(北大西洋条約機構)加盟の西洋諸国は、今や完全に米国に頼る姿勢を捨て、米国抜きの安全保障体制の構築、欧州統一軍の構築などを考慮していると言われる。ASEANも海洋権益で中国の脅威を受けるフィリピン以外の国では、米国離れ、親中国傾向が強まっているようだ。
中国、ロシアが中心となった緩やかな経済体「BRICS」に対し、インドネシアが正式加盟し、マレーシアとタイが加盟申請している。トランプ氏はASEANへの関心が薄いとされているため、加盟国はますます中国に頼ろうとしている。
イーロン・マスク氏をトップとする米政府効率化省(DOGE)が公的な無駄を省くとしてUSAID(海外開発庁)を廃止、海外援助の削減を進めてきた。マスク氏は今トランプ大統領と袂を分かっているが、トランプ政権発足以来の”ぜい肉削り“によって、これまで恩恵を受けてきたグローバルサウス諸国も米国離れを起こしている。
2017-2021年のトランプ政権一期目を振り返ると、経済的に台頭してきた中国をたたき、米国が主体となって包囲網を築こうとする姿勢が見られた。この中でロシアを自陣に抱き込む構えすらあった。
トランプ2期目では、ロシアがウクライナ侵略に出るという国際情勢の変化があるが、それでもこの傾向は変わらない。ロシア寄りで戦争終結を図ろうとするばかりでなく、ロシアを先進国首脳会議(G7)に再び参加させたいとの発言もしている。中ロの関係を切り離し、中国を孤立させたいとの意図がありありだ。
ロシアは領土大国であり豊富な資源を持つか、先進工業国に成る道は遠い。その点、中国は宇宙、生成AI、ロボットなどで確実に成果を上げているので、米国にとって潜在的な脅威である。これが中国を「主敵」にする理由であろう。
<パナマ運河、米管理下に移るか>
中国主敵論という視点から眺めると、トランプ大統領2期目の外交施策は分かりやすい。パナマ運河管理の回収に意欲を燃やすのは、米国の裏庭と言われる中南米諸国に中国が進出し影響力を増してきたことに米国が反発、排除に乗り出したとの見方ができる。
運河は、もともと米国が巨費を投じて1014年に建設、完工したものだ。1977年、米カーター民主党政権の時代にパナマへの返還を決め、1999年から同国政府が単独で管理、運営するようになった。
香港経済界の大御所、李嘉誠氏の企業「長江和記実業(CKハチソンホールディングス)」が運河の入り口にあるバルボア港(太平洋側)、クリストバル港(カリブ海側)の2港の権益を取得したのは1997年。親中的な民主党クリントン政権の時代である。
ところが、2017年、パナマ政府は台湾との外交関係を断ち、中国と国交締結し、関係を強化し始めた。米国にとっては、両大洋をつなぐボトルネックへの中国の影響力拡大は予想外の事態であったろう。
今年1月、就任後のトランプ大統領が「有事の際に中国に運河を占拠される恐れもある」と苦言を呈し、米国が運営権を回収する意向を示した。
今年3月4日、CKハチソンは突然、米国の大手投資企業「ブラックロック」系の投資コンソーシアムにその権益を譲ったと発表した。全世界23カ国、43カ所で所有していた港湾権益を190億米ドルで一括売却したという。この中にパナマ運河の2港も入っていた。
CKハチソンがブラックロックとの港湾権益譲渡交渉には、李嘉誠氏の長男で同社社長の李沢鉅(ビクター・リー)氏ばかりでなく、日常業務に関与しない96歳の李嘉誠氏自身も同席したという。
同社にとってそれだけ重要視していた案件であったのだ。全世界の海運貿易貨物の6%がパナマ運河を通り、このうち中国商船の貨物が21%を占めている。交渉の結果、李氏は中国への忠誠を通さず、パナマ運河の権益を米側に売り渡す判断を下した。
パナマ運河=左側はクラブツーリズム
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李嘉誠氏は1990年代に、中国の経済発展を予測して国内に大量の不動産を所有したが、なぜか、2013年にその不動産のほとんどを売却し、投資先を欧州方面に換えた。案の定、中国不動産バブルは2020年までに終わり、その後不動産価格は下落の一途。李氏の判断は結果的に当たったことになる。
あるいは将来、台湾有事が起きた際、欧米が中国に大規模な制裁を発動し、同社が持つ全世界の資産も差し押さえられることもあり得ると懸念し、事前に手を打ったのかも知れない。ドライフラワー製造などから裸一貫で巨万の富を築いた李嘉誠氏のビジネス感覚は鋭い。
中南米諸国は近年、特に米民主党政権下で、多くの国家がキューバと同じように社会主義志向を強め、米国との関係をトーンダウンさせてきた。パナマも中国と国交を樹立したあとの一年後に中国の広域経済圏構想「一帯一路」にも与した。
CKハチソンがパナマ運河の権益を確保できたのは、恐らく中国政府のバックがあったからだと思われる。近年中国が香港への支配力を強めていることを考えれば、香港企業の権益確保はすなわち中国の権益確保とほぼイコール。北京当局にとっては、運河の管理掌握は世界覇権への大きなステップと認識したであろう。
米中有事となれば、中国側はCKハチソンを通してこの運河を閉め切り、米軍艦の通行を阻止できるはずだった。ところが、中国は老獪な香港ビジネスマンの“ビジネス第一主義”に遭い、重要航路の利便性を失ってしまうことになった。
CKハチソンからブラックロックへの運河権益譲渡の裏にはもちろん、米側の強い意向があったことは否定できないであろう。トランプ氏がパナマ運河関連の発言をしたあと、マルコ・ルビオ国務長官がすぐにパナマを訪れ、ホセ・ムリーノ大統領と会談、「中国の影響力を除去しないのなら、必要な措置を取る」と圧力を掛けた。
パナマ政府も中国寄りの姿勢を示してきたが、最終的に秤にかけて米国になびく決断をした。米国には「一帯一路」協定の破棄を約束するとともに、香港企業に対しては運営権を手放すよう求めたようだ。
実は、パナマの主要メディア「ラ・プレンサ」によると、同国政府は、香港系企業の運河港湾経営について、その収支状況を調べたが、その結果、これまでのところパナマ側に10億米ドルの損失が出ていることが分かったという。
同報道によれば、パナマ運河の両大洋の入り口に当たるバルボア港とクリストバル港の25年経営権を取得したのは、CKハチソン傘下の中国企業「巴拿馬港口公司(パナマ・ポーツ・カンパニー)で1997年1月のことだった。
当時の契約では、巴拿馬港口公司は毎年、2220万米ドルの固定租借料と企業収入の10%を支払うとしていた。だが、2005年にパナマ政府は契約内容を更改し、固定租借料を止めて通行コンテナ量ごとの支払いとし、1コンテナ当たり6-9ドル取るようにした。同時に企業側に対し、港湾設備の改善と浚渫なども要求したという。
ただ、結果としてこの更改は企業側に有利に働いたようだ。パナマ政府は2010年にコンテナ料金をさらに12ドルに引き上げたが、これでも不十分だった。ラ・プレンサ紙は「本来、1コンテナ16ドルがふさわしい。これまでパナマ側は10億ドルの収入を失った」と指摘している。
パナマ政府は今後、中国企業に通行料の大幅値上げを提示するか、あるいは中国企業との契約を途中解約し、トランプ大統領の要求にこたえて米企業か自国企業に乗り換えることも考慮していると見られる。
さて、CKハチソンと総帥の李嘉誠氏の反北京的な姿勢に、中国サイドの怒りは激しさを増すばかり。3月13日から共産党系メディアは連日、激しい批判を加えた。香港の共産党系メディア「大公報」は13日、「無邪気になるな、愚かになるな」、15日には「偉大な企業家はすべて優れた愛国者であるものだ」と題する論文を掲載、李嘉誠氏を非愛国者と言わんばかりに非難した。
中国は3月14-15日、党中央対外連絡部の馬輝副部長らの代表団をパナマに送り、主要政治家や地元のシンクタンク知識人らと会談させた。この狙いはパナマが米国寄りにならないようくぎを刺したようだ。
大公報紙も3月21日、再び論評を掲載し、「国家の安全と利益を損なうな」と権益売却の撤回を呼び掛け、実際に中国当局も、CKハチソンと李嘉誠氏に正式に取引の再考を促した。それを受けて、同社はちょっと躊躇し始めたようだ。
海外のX(旧ツイッター)アカウントの中には、「そもそもパナマ運河と中国国家、民族の利益と何の関係がある」「パナマ運河はもともと中国のものではないだろう」と、中国の圧力を疑問視する声も出た。
ある台湾の知識人は「李嘉誠は一人のビジネスマンであるのだから、企業利益を優先させるのは当然だ」「中国当局が李嘉誠を激しく恨むと香港のビジネス全体に悪影響を与える。香港の経済人はいつも中国に左右され、中国の利益を代表していると見られてしまうから」と指摘している。
CKハチソンの登記先はタックスヘイブンのケイマン諸島にあるが、ビジネスの拠点は香港にある。であれば、北京を怒らせることは得策でない。同社は後々の全体ビジネスに影響が出ることを懸念したのだ。
中国当局の圧力があって今年6月現在、CKハチソンはブラックロックへの譲渡をためらっている。大公報などは相変わらず「李嘉誠は非愛国者」と指摘し、圧力を掛けているからだ。だが、中長期的に見て、譲渡の流れは変わらないと予想される。
<グリーンランド領有の意味>
グリーンランドは、トランプ大統領が一期目の時も宗主国のデンマーク側に譲渡できないかと申し入れていた。その申し出の裏にあるのは、同島がデンマークによって十分に管理されていないのではないかという米側の危機感である。
同島には石油、天然ガス、レアメタル、レアアースの地下資源が豊富にあるとされる。このため、昨今、オーストラリアの資源開発企業「エナジー・トランジション・ミネラルズ(ETM)」が探査を進めており、豪州企業に中国のレアアース大手企業「盛和資源」が資本参加し、現地の自治領政府に接近して熱心に開発を促している。
加えて、中国人の”辺境“観光熱が高まり、しばしば団体ツアー客が同地を訪れている。あるいは、北京当局が同島への関心を示すために意図的にツアーを送り込んでいることも考えられる。グリーンランドにおける中国人のプレゼンスは強まっているのだ。
中国は北極海沿岸国ではないが、北極海航路には強い関心を示している。現在は「北極評議会」(北極海に接する8カ国で構成)のオブザーバーメンバー、つまり”準構成国“に過ぎないが、すでに大型砕氷船を4隻も所有(ロシアは40隻)し、さらに新造を進めている。ロシアの支持を受けて、北極評の正式メンバー入りを狙っている。
そのためにもグリーンランドで存在感をアピールしたい。自治領がデンマークから独立し、北極評の正式メンバーになれば、中国のメンバー入りの後押しをしてくれるのではないかとの読みもあるのだろう。米国はこうした中国側の狙いを察知し、北極圏の安全保障という観点から同島を重視している。
また、島の西北部カナダ寄りにカーナークという地があり、米国宇宙軍のピツフック基地(旧チューレ空軍基地)がある。トランプ大統領が「米国への併合」を言うのはこの基地の存在も頭にあるからに相違ない。
グリーンランドと周辺の地図=毎日新聞の画像から
バンス米副大統領は3月28日、ウーシャ夫人とともにその米軍基地を訪れ、「グリーンランドを確保することが米国の安全につながり、国益にかなう」と語った。そして「この地で米国が主導権を握らなければ、他国がその隙を埋めるであろう。米国はこうした挑戦に立ち向かっていく」と宣言した。
バンス氏はまた「周辺地域(海域)は30-40年以前に比べて安全でなくなっている」と述べ、暗にデンマークが十分支配権を行使していないことに憂慮した。この発言は、北極海航路が運用されるようになって以降、中国、ロシアが軍事力をもって北極海支配を強めていることを暗に指摘したものであろう。
グリーンランドは3月中旬の自治領議会選挙で、デンマーク本国との関係を重視する民主党が多数を占め、33歳のニールセン党首が自治領首相になった。島内政党では、民主党に限らず、野党も米国の従属下に入ることを望んでいない。
英紙「フィナンシャル・タイムズ」が2月初め報じたところによると、自治領議会は、外国からの干渉を排除し、域内の自主権を確保するため、各党派が外国や匿名の人から多大の政治献金を受けないようにとの制限措置法案を可決させた。
この法案はトランプ米大統領が「グリーンランドを買収したい」などとデンマークに申し込んだあとに出されたもので、自治領政府は外国の干渉に神経質になっていることをうかがわせる。
英紙によれば、各政党は毎年20万デンマーククローネ(約2万8500米ドル)以上の献金を受け取ってはならず、単一献金者の献金は2万クローネ(約2850米ドル)を超えてはならないとしている。
バンス副大統領のグリーンランドに不快感を示すように、デンマークの女性首相フレデリクセン女史も4月3日、わざわざ同地を訪れ、中心都市ヌークでニールセン氏立ち合いの下記者会見。「国際的な安全保障の議論があったとしても、併合はできない」と米側に真っ向から反対を表明した。
NATO加盟国内、自由主義国同士の問題であり、強硬手段を使うことができないだけに米側の要求は現実的でない。万一、米側がデンマークや自治領政府の承認なしに資源開発などを進めるとしたら、米国とEUとの関係は決定的に悪化してしまうであろう。
ただ、「米国領有」というこぶしを振り上げた以上、なし崩しに要求を下げることも考えにくい。米軍は最近、グリーンランドの軍事的指揮権の位置付けについて、NATOが介入しやすい「欧州軍司令部」内に置かず、最近米国内の「北方軍司令部」に移している。
米国は最終的に決着点をどこに置くのか、中国の影響力がなければ、今のまま、デンマーク自治領でいいのか。それとも資源獲得という下心があってもっと米国寄りにしたいのか。中国のみならず、西側諸国も注目している。
<ガザ領有の狙い>
イスラエルが戦いを続ける中東ガザ地区について、トランプ氏は「米国の管理下に置き、将来リゾート地を造る」と宣言した。これは、グリーンランド領有意欲以上にあまりにも唐突すぎて世界を唖然とさせた。
ガザはパレスチナ人が密集して居住しており、反イスラエルの武装勢力「ハマス」が実効支配していた。そのハマスの武装部隊が2023年10月に突然、イスラエルに奇襲攻撃を掛け、多数を死傷させ、人質に取った。このため、イスラエルは将来にわたってハマスの敵対行動を封じようとガザに軍事侵攻し、全土占領に出た。
イスラエルが今後半永久的にガザを占領し続ければ、他の中東諸国は黙っていないだろう。米国の今回の“申し出”は、イスラエルの管理にもさせない、ハマスの復権も許さないという観点からすれば、うまい方策なのかも知れない。だが、米国の管理というのは非現実的で、ましてやリゾート地にするなどというのはあり得ない構想である。
となると、米国には別の意図があるように思われてならない。紅海と地中海を結ぶエジプト管理のスエズ運河は今、長引く干ばつの影響で渇水が続き、通航船舶は長い時間待たされる状況にある。加えて、進入路になっている紅海、アデン湾では、イエメンの反政府武装勢力「フーシ」による商船への無差別攻撃がある。
米英軍がフーシの基地を空爆しているものの、十分に掃討できておらず、相変わらず通航船舶はミサイル攻撃の危機にさらされている。こうした状況から、インド洋-紅海-地中海ルートは通りにくくなっており、かなりの船舶がアフリカ大陸最南端の喜望峰回りを余儀なくされている。
紅海航路を利用するにはフーシの掃討のほか、スエズ運河のスムーズな通過が必要だ。そこで浮かび上がってくるのが第2スエズ運河の構想である。紅海のエジプト寄りにはスエズ運河に至るスエズ湾があり、ここにスエズ運河が造られた。
一方、シナイ半島の反対側にイスラエル領に至るアカバ湾がある。アカバ湾からエジプト国境近くの砂漠を掘削すれば、ガザ経由で地中海に至る運河の建造も可能だ。いわば第2「スエズ運河」構想であり、これができれば、イスラエルにとっては大きな権益となる。
シナイ半島を挟むスエズ湾とアカバ湾=ウィキペディアの写真から
事情通によると、トランプ氏の娘イバンカさんの夫で、第一次政権で活躍したユダヤ系米国人のジャレッド・クシュナー氏が第2運河構想に興味を示し、公言にしたことがあったという。クシュナー氏がこの計画に積極的に動けば、トランプ大統領に反対はないであろう。
あるいはトランプ氏の率いる企業自体が将来この事業に関わることも可能だ。「ガザを米国管理下に置きたい」と言った大統領の心底にはこの第2運河構想を視野に入れているのではないかとの推測もできる。
スエズ運河を管理するエジプトは中国との関係も悪くない。そこで中国系企業が運河の管理権まで手に入れたら、インド洋-欧州への海洋ルートで中国の影響力は一段と強まるであろう。したがって、米国のガザ管理の主張は、第2「スエズ運河」構想をにらんで、中国の野望を打ちくだく上からも意味がありそうだ。
<マレー半島横断運河建設>
アジア諸国にとっては、太平洋とインド洋を円滑につなげる航路は死活的だ。大量の物資を欧州、中東・アフリカ諸国と行き来させている中国や、原油の輸送という命綱のシーレーンにしている日本とっては航路の安全確保、短縮化は最重要課題である。
中国は雲南省南西部から石油パイプラインをミャンマーのチャウピューまで通しており、インド洋から直で自国に入るルートを確保している。このチャウピューのほか、スリランカのハンバントタ、パキスタンのグワーダル、北アフリカのジブチと港湾権益を確保。インド洋でいわゆる”真珠の首飾り“という軍事面での港湾シンジケートを作り上げた。
加えて、インド洋上にあり、米軍の基地があることで有名なディエゴガルシア諸島を英国は昨年10月、モーリシャスに返還することに合意した。これを機会に中国はモーリシャスに基地建設を打診しているもようだ。
さらに、スエズ運河を越えてギリシャのピレウス港の利権も確保している。その意味では、インド洋でも軍事的なプレゼンスを背景に中国の影響力は増すばかりである。
ミャンマーを通るパイプラインがあるとはいえ、同国はクーデターで政権奪取した軍事政権下にあり、しかも国内には複数の少数民族が独自軍隊を維持し、一定地域を支配しており不安定である。一方、マラッカ海峡を通り、マレー半島の先シンガポール沖から南シナ海に至る航路を通るのも心配の種だ。
マラッカ海峡にはイスラム系の海賊が出没しているからだ。そのため、日本の船舶の中にはマラッカ海峡を通らず、インドネシアの南側に回り、諸島間を通って南シナ海に出るという遠回りルートを使う船もある。
マレー半島の付け根のタイ領に運河ができれば、インド洋のアンダマン海から直接タイ湾に出られるので、日本、中国船舶にとってはかなりの航路短縮となる。そこで、かねてより計画されてきたのがクラ地峡でのマレー半島運河建設である。
マレー半島と運河計画のあるクラ地峡=日本経済新聞の画像から
「タイ運河研究発展協会」という国家組織がマレー半島で一番陸路が狭いクラ地峡(半島最狭部で65キロ)での運河建設の研究を進めてきた。ただ、タイの最南端地域にも、独自支配を目指すイスラム原理主義の武装勢力が跋扈している。建設に危険性が伴うほか、運河完成後も安全が確保される保障はない。
そこで、最近は、クラ地峡から若干南方の地区での建設が考えられているようだ。計画では、この運河は全長135キロ、川幅300-400メートルで水深は15-18メートルになるという。ただ、建設費用は数年前のタイ政府の見積もりで250億米ドルと膨大な費用がかかりそうだという。
これだけの高額ではタイだけの負担で賄えない。恐らくタイ政府は現在の国家関係の近さや、より安い費用での建設を考えて日本などより中国企業とのコンソーシアムを組む可能性が高い。もし中国企業となれば、マレー半島運河も中国が絶対的な権益を確保ことになる。それを日本、米国が許容できるであろうか。
同運河構想はまだ具体性に動きだしていないので、これまでのところ米国も口を挟んでいない。しかし、中国がこの計画に一枚かんでくるとなれば、トランプ氏は座視しないだろう。世界の海運、航路でも「米国第一主義」を貫き、妨害工作に出てくるに違いない。
<3大運河とは>
ちなみに現在、スエズ、パナマの両運河があまりにも有名だが、実は世界には3大運河という言い方がある。3番目の運河は欧州人には結構知られているが、日本人やアジア、南北米州人もほとんどが知らないのではないか。
では、3つ目の運河とはどこか。デンマークのユトランド半島根元のドイツ領シュレースビッヒ・ホルシュタイン州を横断するキール運河である。北海とバルト海を結ぶ長さ98キロ、幅102メートル、水深11メートルのルートで、1895年に完成した。
もともと川を利用して両海をつないだアイダー運河が1784年にできたが、幅29メートル、水深が3メートルほどしかなかったので、19世紀末に再工事が行われた。19世紀中の完工であるので、1869年開通のスエズ運河と歴史の長さで遜色ない。
キール運河は第一次世界大戦のあとのベルサイユ条約(1919年)で、ドイツが主権を持ちながらも、すべての国の船舶が通航できる国際運河となった。ヒットラーのナチス政権時代にドイツが独占的に使用したが、戦後は再び国際運河に戻っている。
キール運河が最近、とみに注目されているのはウクライナ戦争が始まったからである。ロシアのサンクトペテルブルグの軍港から軍艦をバルト海、大西洋、地中海を経て黒海まで移動させるにはこのルートがかなり便利である。
このため、ドイツ政府、NATOは現在、ロシアの艦船がここを通るのを阻止している。
また、昨年11月以降、中国の民間艦船によると見られるバルト海の海底ケーブルが切断される“事故”が何度かあった。これらはフィンランド-エストニア間、スウェーデンーラトビア間などNATO、西側諸国にとっては重要な光ケーブルである。
アイ・クルーズの画像から
NATO諸国はこれらの事態を“事故”とは見ていない。ロシアの意向を受けた意図的な行為であり、“事件”と見ている。実行行為者がいずれも中国籍の貨物船「伊鵬3号」であり、中国がロシアの意向を受けて起こしたものとも推察できる。
今年2月、台湾台南沖でも海底ケーブルを切断されることがあった。中国の貨物船「宏泰58」の仕業であり、「伊鵬3号」の手口とよく似ている。錨を引きずって切断する方法は中国が“特許”を持っているとも言われる。中国側は台湾有事に備え、通信網の切断を訓練しているのかも知れない。
中国籍の貨物船の仕業と確定されれば、ドイツやNATOが中国籍貨物船のキール運河通行を許可することはないであろう。現行、どうなっているのかは不明だが、通行させることがあってもかなり厳重なチェックが行われているではなかろうか。
バルト海海底ケーブル切断のケースはあくまで欧州の問題であり、トランプ米政権がどれだけキール運河に関心を示しているのかは分からない。ただ、キール運河はともかく、海洋国家である米国は世界の大洋をつなぐ運河には大いに関心を持っていることは間違いない
ただ、トランプ大統領は今、安全保障面で他国関与に冷淡であるほか、USAIDの廃止で、対外的な支援、援助まで削減している。その上友好国も含めて関税の上乗せを図っている。
この傾向が続けば、諸外国はますます米国離れしていくだろう。
その結果、相対的に利を得るのが中国である。しぼみかけた広域経済圏構想「一帯一路」を再び持ち出して影響力を強めてこよう。
米国が世界の海洋を支配し、覇権大国であり続けるのなら、新興覇権大国の勃興を許すはずがない。中国の野望にどこまで本気で対抗する気があるのか。トランプ氏の心底はまだ読み切れない。(了)
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