このリポートはタイバーツの切り下げから半年後、1998年2月に推敲したもの。これが毎日新聞の週刊エコノミスト編集部の目にとまり、原稿の依頼が相次いだ。東洋経済、週刊ダイヤモンドにも仕事をもらい、はては誌上対談までやった(銀行の売り上げだが、それ以上にボーナスをもらった)。今思えば、アナリスト人生の中で自分が一番輝いていた時だろう。
しかし、半年後には国内の金融危機のあおりを受け、この銀行も全ての海外業務から撤退した。私も1年後に退職し、バブル崩壊の影響が少ない損害保険会社に転職した。アジアだけでなく、日本も負の連鎖を抱え、失われた30年の始まりになるとは思いもよらなかった。