外務省欧州局長・中込氏の推薦の書です。ウクライナ情勢の帰趨、拙著「河イルカ」のシナリオにも影響するので、昨日から読み始めました。
戦後の日本人は、「戦争終結」を考えることから目をそむけてきたのではないだろうか。
本書の書き出しは、そういう問いかけで始まる。確かに二度と戦争を起こさないためには、どうしたらいいか論点がそちらに多く語られている。一旦、戦争が始まってしまえば、その論点も役に立たないだろう。世界の紛争に対して理性的に収拾し、出口戦略を練ることは平和外交を謳う我が国にとっても考えるべきテーマだ。
本書は第一次世界大戦、第二次世界大戦(ヨーロッパ)、第二次世界大戦(アジア太平洋)、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争を事例に検証している。このページを使って、順次投稿していきたい。
序章「戦争終結への視角」では、紛争原因の根本的解決と妥協的和平のジレンマが取り上げられている。終結を考える上で最も重要なのは、優勢勢力側(勝ちそうな国)が「将来の危険」と「現在の犠牲」のどちらを重視するかというシーソーゲームのなかで決定を迫られるとある。
では、今のウクライナ情勢は、どっちが優勢勢力なのでしょう?
今日(30日)、ウクライナ侵攻400日となりました。
終章 教訓と出口戦略 ー日本の安全保障への示唆
本書では3つの示唆を示している。
パワーのみが「紛争原因の根本的解決」か「妥協的和平」を左右するのではないこと。
パワーバランスの変化が、交戦勢力にとっての「将来の危険」と「現在の犠牲」に対する評価を変えること。
多国間戦争の終結形態は同じ同盟勢力内の戦後を見すえた確執に影響されること。
日本の安全保障については、憲法による必要最小限の自衛権、自衛隊法、重要影響事態法、事態対処法などの法整備がなされている。そのうち、事態対処法は「武力攻撃が発生した場合には、これを排除しつつ、その速やかな終結を図らなければならない」と既定している。つまり、「速やかな終結」が本書のテーマに関連してくることされる。
国家安全保障戦略の目標、その後に策定された防衛大綱(30大綱)のいずれでも「被害を最小化」を定めており、(日本は)「現在の犠牲」の回避に軸足を置いた書きぶりになっていると本書は指摘している。
であれば、もう一度、序章で取り上げた「紛争原因の根本的解決」と「妥協的和平」のジレンマ図を眺めてみてほしい。日本にとって重視するポイントは「現在の犠牲」であり、「将来の危険」より重要となっている。この2つはトレードオフの関係になっており、著者は一歩踏み込で表現していないものの「将来の危険」は重視していないことになろう。
最後に頭の体操でしかないと断りつつ、これを怠ることをしてはならないと本書は結んでいる。「戦争はいかに終結したか」は、私にとって論理的思考を養う名著であった。
第6章 湾岸戦争・アフガニスタン戦争・イラク戦争 ー共存から打倒へ
第5章までいずれもアメリカが参戦しており、この章でも交戦相手国であった。それぞれ「砂漠の嵐」作戦、「不朽の自由」作戦、「イラクの自由」作戦を発動しており、圧倒的な力で空爆を開始している。アメリカという国は自由なのだろうが、近代以降の歴史を見る限り好戦国家といわれても一笑に伏すわけにいかない史実がある。
サブタイトルの共存とは湾岸戦争におけるフセイン体制の温存をさしており、この時アメリカはクウェートからイラクを撤退させることだけにとどめた。イラクを弱体化させると、中東のパワーバランスが崩れる。イラン、シリアを牽制するためにも、アメリカはイラク軍を殲滅することはしなかった。
本書では「戦争終結に関するアメリカの態度は、わずか10年のあいだに交戦相手国との共存から打倒へと転回した」とある。この書は戦争終結の形が「現在の犠牲」と「将来の危険」のバランスで大いに影響されたと結んでいる。
この二つの戦争の間に9・11事件が起こり、世界貿易センターと国防総省にハイジャック機が突入し、3000人近くが死亡した。ブッシュ大統領はテロとの戦いを宣言し、アルカイダを庇護するタリバン政権の打倒に動き出した。
サブタイトルは「ーその首をはねよ」。同時多発テロの首謀者をオサマ・ビン・ラディンとみなし、10月11日にアフガニスタン戦争が始まる。それから1ヶ月でカブールは陥落し、「将来の危険」であるタリバン政権は崩壊した。しかし、本書はそのタリバン政権が復活して、カブールが再び陥落することに触れていない(本書の発刊が2021年7月で、その1月後)。
タリバンに関しては紛争原因の根本的解決に至っていたはずではなかったのか。本書の続編として、この戦争を再評価してほしい。というのは歴史が繰り返されたからである。
第5章 ベトナム戦争 ー終幕をひかえた離脱
サイゴン陥落。私の高校時代に起こったことで、ニュース報道はいまだに記憶が残っている。アメリカ大使館の屋上から米軍ヘリが混乱の中で脱出するところだ。一昨年のカブール陥落も、サイゴン陥落の記憶を呼び起こした。
https://www.society-apa.com/forum/guo-ji-qing-shi-towai-jiao-international-affairs/kaburuxian-luo
ところが、本書ではベトナム戦争の終結は1973年1月にアメリカが北ベトナムと結んだ平和協定「パリ協定」の締結を指している。サイゴンの陥落はそれから2年後の1975年4月のことだ。
パリ協定ではハノイに南ベトナム政府を認めさせ、アメリカが一方的に撤退し、同時に南ベトナム臨時革命政府を承認するものであった。それはサイゴンの恒久的存続を保証するものではなかったと本書は語る。この終結でアメリカが求めたのは米軍の撤退とサイゴンの陥落に「時間的間隔」を置くことであったとされる。
このケース、「紛争原因の根本的解決」はアメリカから見てハノイの打倒であり、ハノイはサイゴンの陥落であった。アメリカ本来の軍事的優位はハノイの損害受任度の高さによって相殺されたとあり、ハノイの打倒につながる軍事行動は、中国やソ連との戦争にエスカレートする「現在の犠牲」が生じることを恐れたとされる。本書ではアメリカが「妥協的平和」を選択したとある。
現在のウクライナ戦争の帰趨はどうなるのか。プーチンはウクライナ国民の損害受任度の高さを見誤り、アメリカ、NATOの軍事的支援につながる「現在の犠牲」が生じた。この章を参考に見立てると、ロシアはウクライナと休戦協定を結び、「時間的間隔」をおいて撤退することで「妥協的平和」を選ぶことになるのではないか。
第4章 朝鮮戦争 ー「勝利にかわるもの」を求めて
ここで言う「勝利にかわるもの」とは休戦を指しており、本書では妥協的和平に傾いて戦争が終結したこと指摘している。対決の構図は国連軍(アメリカ)VS北朝鮮+中国。「紛争原因の根本的解決」について国連軍が求めたのは韓国による統一であり、共産軍が求めたのは北朝鮮による統一であるが、後者は少しややこしく中国の国連加盟、台湾からの米軍撤退が含まれていた。
当時、アメリカにとって朝鮮北部の赤化はアメリカ本土が脅威にさらされることは考えにくかったので、将来の危険は低く見積もられていた。一方、38度線を突破し、鴨緑江に迫った国連軍による朝鮮統一は、中国にとって米軍が国境を接するという将来の危険が高まった。国連軍の予想に反し、中国が参戦することになったのである。
本書は、ここで現在の犠牲がとりあげられている。国連側にとっては中国の人民義勇軍との戦闘、ソ連が参戦する可能性であった。共産側にとってはアメリカによる核の使用が懸念されていたし、満州(ママ)が戦場になることであった。
妥協的平和で終結した朝鮮戦争は、その後70年間、緊張をはらみながらも平和が維持されている。現時点では、そうかもしれない。しかし、NHK映像の世紀で紹介された日本軍の開発によるウラン鉱から核が世界にばらまかれ、当時は考えられなかった核の脅威が増しており、将来の危険が高まっている。
第3章 第二次世界大戦<アジア太平洋> ー「幻想の外交」の悲劇
この章のサブタイトルは、何を指すのだろうか。これは日本からみた悲劇であり、それは天皇の国体護持のためにソ連の仲介で和平交渉を行おうとしていたことにある。
降伏勧告をせまるポツダム宣言(7/26)を発せられた後、日本はあろうことか降伏するにしてもソ連の仲介によるアメリカの譲歩をひきだそうとしていた。ソ連はその気がなく、逆に二発の原爆が投下された後、対日参戦してきた。この章は日本側の御前会議、戦争指導会議、閣議の様子があから様に述べている。
歴史にもしもというのがあればだが、日本はポツダム宣言をすぐに受け入れていれば、広島、長崎に投下された原爆による50万人以上の死没者、旧満州の24.5万人の引揚者は助かったかもしれない。しかし、ソ連はポツダム宣言の受諾後も日本に進撃を続け、南樺太、千島列島、北方四島を占領した。ソ連の侵攻が止まったのは、9月2日戦艦「ミズーリ」艦上での降伏文書署名後2日後である。その後もシベリアに抑留された日本兵捕虜は10万人以上が亡くなった。
外交的な解決を求めた日本の悲劇である。ポツダム宣言では「天皇制を維持するかどうか」が曖昧なままになっていたが、終戦の詔書では「朕は茲に国体を護持し得て…」と一方的に言い放った。今日の日本の姿は、憲法による象徴としての天皇制となった。人命を考えた場合、日本はいかに終結すべきだったのだろうか。
第2章 第二次世界大戦<ヨーロッパ> ーー無条件降伏政策の貫徹
この章の結論はサブタイトルになっているように次の文に代表される。
ヨーロッパにおける第二次世界大戦の終結は「紛争原因の根本的解決」の極にあるケースである。アメリカ・イギリス・ソ連は、「現在の犠牲を払ってでも、ドイツと妥協してナチズムが存続することになる「将来の危険」を拒絶し、無条件降伏政策を貫徹してドイツを完全に打倒した。
ヒットラーは戦局が有利なうちから何度も和平つまり休戦を持ちかけていたが、連合国側は拒否していた。本書はその休戦の機会を何度も取り上げている。連合国側はイタリアを離反させるために休戦に持ち込み、主敵ドイツとの決戦に臨んだ。
ただ、連合国側最高司令官アイゼンハワーはドイツ東部を流れるエルベ川に前進し、そこで停止した。ソ連にベルリン陥落を許してしまい、戦後まったく別の「将来の危険」を生み出してしまった。
これを現在のウクライナ情勢にはめるなら、連合国側はNATO、ドイツはロシア、イタリアはベラルーシ、ウクライナはフランス、中国が日本かな。まだ世界大戦になっていないから、無理があるかな?
第1章 第一次世界大戦 ーー「勝利なき平和か」、懲罰的平和か
写真はフランス、コンピェーニュの森、鉄道車両で休戦協定に署名されたところ。鉄道が当時の重要なインフラで、人類の長距離移動が海洋から陸上に広がった時代を反映している。鉄道が列国の権益となり、領土を広げる侵攻が繰り広げられた(以下は本書のハイライト)。
第一次世界大戦の終結にはドイツで革命が起こったという要因があるというが、歴史家ピエール・ルヌーヴァンが指摘するように敗北が革命の原因だった。その前提で考えると、前記の紛争原因の根本的解決と妥協的和平のジレンマの視点は役立つだろう。
ウィルソン米大統領が掲げた「十四ヶ条の原則」は理想主義的な講和原則である。ドイツが休戦に応じようとしたのは、この原則を「妥協的平和」につながるものと都合よく解釈したからであった。しかし、実際は伝統的な現実政治に重きを置くフランス、イギリスの権謀術数により、この原則は骨抜きにされていく。
ドイツは後の革命の影響もあり、連合国・アメリカが提示してきた休戦条件を受け入れざるをえなかった。第一次世界大戦終結の失敗は連合国・アが「紛争原因の根本的解決」の極に近い決着を手にできるほどドイツを打ち負かしていなかったにもかかわらず、ドイツに過酷な条件で「十四ヶ条の原則」の皮をかぶせて受け入れさせたことにある。
勝利なき平和を信じたドイツは、実際に懲罰的平和を押し付けられることになった。それは戦後ドイツの怒りを買い、一方の連合国・アはドイツの「将来の危険」を除去するには不十分であった。